「子どもの自殺」の社会学 その原因・動機とは?2
前回に引き続いて「子どもの自殺」について解説していきます。
前回の内容はこちら
第2章 「いじめ自殺」の発見
いじめの変容
いじめ自殺が発見されるうえで、重要なのが、いじめの形態の変容があります。
かつてのいじめは、強いものが弱いものをいじめるもので、誰が誰をいじめるかあ想定できた者でした。ドラえもんのジャイアンとのび太の関係がわかりやすいですね。
またいじめるものといじめられるものは固定化されており、半ば制度化されていたといっていいでしょう。
しかし、現在のいじめでは、「「いじめ」が特定の役割や地位やパーソナリティとは無関係な予測不可能な現象になった」(伊藤、2014)と伊藤氏が述べているようにいじめ被害者と加害者が流動的に入れ替わったり、どんどん可変性のあるものになりました。
つまり、現在のいじめは、「すべての子どもが加害者にも被害者にもなり得るもの」(伊藤、2014)であるということです。
いじめがなぜ問題化されたのか?
いじめの変容が起こったということは上記の通りですが、なぜいじめが問題として取り上げられるようになったのでしょうか?
伊藤氏は教育問題の変化を主張しています。
いじめが問題化されたのは1980年代ですが、それ以前のそれ以後に教育問題に変化が見られます。
1970年代では、教員への勤務査定、教科書問題といったイデオロギー、労働にかかわる政治にかかわるものとして教育問題が捉えられていました。
そのため、当時の教育問題は「学校の日常とはあまり関係なく多くのs民が関心を向けて語ったりするようなものではなかった」(伊藤、2014)と言います。
しかし、1980年代以降では、
・学校間の変化:未来志向から現在志向への変化
・教育の大衆化:ほぼすべての人間が、高校まで進学するようになったということ
が起きました。
教育の大衆化により、学校の社会的地位、価値が相対的に低下しました。それは、学校が当たり前のものになったためです。
上記の理由などにより、学校外部から学校内部に意識が向けられるようになり、教育問題が学校内部での問題になりました。
これがいじめ問題化の理由です。
いじめの立ち位置
次に学校内でのいじめの立ち位置について説明します。いじめが問題化されたのち、いじめは、「人間関係上の問題」として位置づけられていました。
そのため、かつては、家族、職場、学校といった個人と社会システムの中間に位置する団体、すなわち、中間団体による解決が一般的でした。
現在では、専門家による対処が一般化しています。
しかし、この解決は、一方的なものであり、極端な解決しかできないため、被害者は訴えるのに覚悟を必要とし、加害者は社会的な死をもたらされる場合があります。
つまり、専門家による解決では、被害者が思ってもいないほど、その問題が大事になってしまい、被害者が「こんな大事にするつもりはなかったのに」というような結果になってしまうことがあるということです。
それに加えて、いじめ解決の「「専門化」については、学校教育という領域では無視をあまり進行しておらず、その動きは遅れている」(伊藤、2014)と伊藤氏は指摘しており、学校では、いじめを「教育的」論理で対処しています。
それが、いじめ解決に対する、学校への不信感、不透明感につながっているともいえそうです。
まとめ
これまで、「子どもの自殺」についてまとめてきました。多くの人が予想している自殺の原因とは、実際は異なっていて驚かれた方もいるのではないでしょうか。
「子どもの自殺」を減らすには、いじめを減らすことよりも、勉学・受験にに関する不安を取り除かなければいけないと思います。
気になった方は、この本を実際に読んでみてください。
「子どもの自殺」の社会学 その原因・動機とは?1
今回は、伊藤茂樹『「子どもの自殺」の社会学「いじめ自殺」はどのように語られてきたのか』2014 青土社 から子どもの自殺について解説していきます。
第1章 子供の自殺という社会問題
子供の自殺の主な原因
①「勉学・受験による自殺」
この原因は、受験の失敗、成績の低下による挫折・絶望、日々の勉強・競争によるノイローゼ、受験戦争・学歴社会の犠牲などによるものです。
このようなことが原因で自殺は、子どものイメージ、役割に会うものであるため、「子どもの自殺のストーリーとしてきわめて受け入れやすいものである」(伊藤、2014)と伊藤氏は述べています。
また「警察庁の自殺統計によると平成24年の20歳未満の自殺者のうち、「入試に関する悩み」及び「学業不振」が動機とされる者は合わせて85名おり、全体の15.6%を占める」(伊藤、2014)とも言います。
しかし、このことは、あまり知られていないないのではないでしょうか。
それはなぜか?
伊藤氏は学校での勉学や受験に対する意味づけの変化を主張しています。
つまり、学校の立ち位置が、
よりよい人生のために耐え抜いていくもの(未来志向)
から
「そこにいることで得られる「充足」」(伊藤、2014)を重視するもの(現在思考)
へ変化したということです。
これにより社会での勉強・受験や学校の立ち位置が相対的に低下したことで、勉学・受験を動機とする自殺が社会において想定されなくなったと考えられます。
②不可解な自殺
不可解な自殺は自殺の理由がはっきりしないものです。子どもの自殺で特に顕著ですが、自殺する際に、遺書が残っていないケースが多いため、動機がと規定できない場合はこれに分類されます。子どもでは特にこの項目に分類することが多いように思われます。
これも、自殺の原因がわからない不可解なものであるため、メディアも取り上げ方に苦心すると思われるため、ほとんど報道されることはありません。
③哲学的自殺
哲学的自殺とは、「不可解さを感じさせながらもその原因がある程度納得」(伊藤、2014)できる自殺の形態です。
「遺書や本人が書き残した作文などの思索的、内政的な内容がみられ、なおかつ社会や特に学校に対する批判意識が感じられる」(伊藤、2014)と伊藤氏は述べています。
この自殺は周りから見て「わかりやすい」自殺であるため、メディアに見いだされ報道されました。
④いじめ自殺
いじめ自殺は、いじめを原因として自殺するものです。
具体的には、第2章に書かれているので、次の記事に書こうと思います。
次の記事はこちら
参考:伊藤茂樹『「子どもの自殺」の社会学「いじめ自殺」はどのように語られてきたのか』2014 青土社
ブログを書くうえで押さえておきたい「著作権」2
続いては、引用などについて解説します。
前回の記事はこちらから
5 引用とその方法
著作物を第三者が利用するには「引用」をすることが出来ますが、それにはいくつかの注意点があります。
・引用の注意点
①公表作品であること
②自分の作品の明瞭区別:引用部分がわかるようにするということ
③主従関係:自分の作品がメイン
④関連性:自分の作品と関連がある内容のみを引用するということ
⑤改変禁止:引用する文章はそのまま記述する必要があります。
⑥出典明記:誰のどの作品を引用したかを明記する必要があります。
以上が注意点になります。
出典明記では、著者、題名、出版年、出版社などを書く必要があります。
6 著作権の期限
著作物を守る著作権ですが、いつまでもその権利が保障されるわけではありません。著作権には期限が存在します。
・著作権の期限
「著作者の生前全期間+死後50年」(福井、2015)
つまり、Aさんが2021年に出版した著作物は、Aさんが2050年で亡くなったとすると、Aさんが亡くなる2050年までとそこから50年の2100年まで保護されるということです。
映像作品についてはその作品が公開されてから70年間保護されます。
7 著作者人格権
著作権は、著作者の意思によって自由に譲渡することが出来ます。しかし、譲渡したのちにも著作者に残る権利が存在します。それが著作者人格権です。
・著作者人格権の内容
①公表権:著作物をいつ公表するか決める権利
②氏名表示権:著作者として自分の名前を表示させる権利
③同一性保持権:著作物を無断で改変されない権利
④名誉保持権:著作者の名誉を害する目的、方法で著作を利用されない権利
これらが著作者人格権です。著作者人格権は、放棄・譲渡することが出来ない権利でありますが、この権利を行使するか否かは、著作者の自由となっています。
これを不行使の特約といいます。
8 まとめ
以上、著作権について解説してきましたが、やはり大事なのは、「許可を取る」ということでしょうか。正しい方法を用いれば、著作物の使用は許されるのですからうまく使っていきましょう。
参考:福井健策『18歳の著作権入門』2015 ちくまプリマ―新書
ブログを書くうえで押さえておきたい「著作権」1
今回は、福井健策 『18歳の著作権入門』2015 ちくまプリマ―新書 からブログを執筆するうえで押さえておきたい「著作権」について簡単に解説していきます。
1著作権とは
著作権とは、著作物を守るための権利です。そして著作物を守るために、さらに細かく権利が決められています。
①複製権:無断で複製されない権利
②演奏権:無断で自らの作品を演奏されない権利
③上映権:無断で自らの映像作品を上映されない権利
④公衆送信権:無断で自らの作品を放送されない権利 (マスメディア、SNS 、ブログ、動画投稿サイトなど)
⑤展示権:未発表の作品を無断で展示されない権利
⑥譲渡権:無断で販売されない権利
⑦貸与権:無断でレンタルビジネスに使用されない権利
⑧翻訳、翻案権:無断で作品を翻訳されたり、模倣されない権利
主にこのような権利が著作権に含まれています。重要な権利としては、①複製権、④公衆送信権、⑥譲渡権を理解しておくといいでしょう。
2著作物とは
次に、著作物とは何かについて抑えましょう。
著作物とは、「思想や感情を創作的に表現したもの」(福井、2015)です。
具体的には、
①小説・脚本
②音楽
③舞踊
④美術
⑤建築
⑥図形
⑦映画
⑧写真
⑨プログラム
などです。
①小説・脚本、②音楽では、あまりに短すぎるもの、定型的なものは著作物に分類されないこともあります。
3著作物にならないもの
次に、著作物に当てはまらないものを紹介します。
①事実、データ:統計、社会調査、アンケートなどで得られた事実のこと
②アイデア、着想
③題名、名称:題名は、長すぎる場合を除いて著作物になりません。名称は、キャラクター名のことです。
④実用的なデザイン:ペンやペットボトルなどの実用的な物のデザインのこと
これを見ると生活に根差したものが著作物とならない傾向があるようですね。
4著作権の例外
著作権にも著作物の使用方法によっては、その制限が及ばない場合があります。
それは、「私的使用のための複製」です。
「個人又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲」(福井、2015)で使うために使用する本人が複製できます。
つまり、個人のためにその本人が複製することが許されます。
この範囲外での場所の複製は禁止されています。教育機関などの公共機関もこの例外として複製が可能ですが、図書館などでは、複製がその著作物の1/2を超えてはならないなどの細かいルールが存在します。
以降は次のブログに持ち越します。
参考文献:福井健策 『18歳の著作権入門』2015 ちくまプリマ―新書
次の記事
嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- 他者の課題を切り捨てる
続いては、嫌われる勇気の第3章について考えていきます。
前回の話を読んでいない方は是非こちらを↓
5.嫌われる勇気 第3章 他者の課題を切り捨てる
自由に生きるためには、第3章で述べられていることが重要となってきます。
5.1-2「課題の分離」とは何か、他者の課題を切り捨てよ
自由に育るうえで重要なのが「課題の分離」です。
「課題の分離」とはある課題が、自分の物なのか、他者の物なのかを分離して考えることです。そして、「他者の課題には踏み込まない」(岸見、2013)が重要です。
例えば、あなたが友人と仲良くしたいときを考えてみましょう。
このとき、あなたは、友人に仲良くしようと働きかけるでしょう。
あなたは、友人が仲良くしてくれるだろうか、嫌われてはいないだろうか悩むのではないでしょうか。
ここで生じる課題とは、友人があなたを受け入れてくれるかどうかです。
では、この課題は誰の物でしょうか?
この課題は、友人の課題です。なぜなら、友人があなたを受け入れてくれるかどうかは、あなた自身ではどうにもならないことであり、友人次第です。
そのため、あなたは、このことで悩む必要はありません。悩んだところでどうしようもないのですから。
本書では、
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと-あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること-によって引き起こされます。(岸見、2013)
馬を水辺に連れていくことは出来るが、水を飲ませることは出来ないということです。
他者の課題を切り捨てて、自分の課題と向きうことで、自分の人生に集中することが出来、シンプルに生きることが出来ます。
5.3 本当の自由とは何か
本当の自由とは何でしょうか?
他者の課題を切り捨てて、自分の人生をことは、自分勝手に見られがちです。
しかし、自由に生きるためにはその自分勝手にみられるかもしれないリスクを受け入れることが必要なのです。
すなわち、「自由とは嫌われることである。」(岸見、2013)
他者の評価を気にかけず他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことは出来ない。つまり、自由になれないのです。(岸見、2013)
これは、積極的に嫌われることではありません。嫌われるということを許容、受容するということです。
そして、これが本書の題名伴っている「嫌われる勇気」なのです。
5.4 まとめ
今回は、課題の分離によって、自分の課題か他者の課題かを考え、自分の課題向き合うこと、自分の人生を生き、嫌われる勇気を持つことが必要であるということがまとめとして言えそうです。
参考:岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイアモンド社 2013
嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- すべての悩みは対人関係
続いては、嫌われる勇気第2章について考えていきたいと思います。
前回の内容を読んでおられない方は、こちらを先に参照していただけるとありがたいです。
4.第2章すべての悩みは対人関係
4.1すべての悩みは「対人関係の悩み」である
孤独であるという悩みが「他者を必要とする」ように悩みというものは、他者と比較して生み出されることであるからです。
そのため、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」(岸見、2013)とまでアドラーは断言しています。
「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこには必ず、他者の影が介在しています。」(岸見、2013)
4.2劣等感は主観的な思いこみ
皆さんも何かに関して、劣等感を持っていると思います。
劣等感を持たずに生きていられる、人など存在しないといってもいいでしょう。
しかし、劣等感はどうして私たちの心の中に生まれてくるのでしょうか?
劣等感とは、ある面において自分が他者と比較して劣っていると感じる感覚であり、客観的なものではなく、主観的なものであるといえます。
つまり、劣っていると思われることに対して、「どのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか」(岸見、2013)であるといえます。
そのため、主観的なものである劣等感は、主観的であるがために、「自分の手で選択可能」(岸見、2013)なのです。
4.3言い訳としての劣等コンプレックス
上記から劣等感が悪いものであるというように思われてしまいますが、劣等感を持つことが悪いことであるというわけではありません。
私たちには、普遍的な欲求として「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」(ともに、岸見、2013)という「優越性の追求」(岸見、2013)というものがあります。しかし、この「理想に到達出来ていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く」(岸見、2013)
ことを劣等感を抱くことと言います。
つまり、劣等感は自分の理想に到達するための、「成長や努力の促進剤」(岸見、2013)となりえるのです。
しかし、この劣等感の使い方を間違えると問題が起こります。
それが、「劣等コンプレックス」(岸見、2013)という状態です。
劣等コンプレックスとは、「自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のこと」(岸見、2013)です。
例えば、「私は、背が小さいから、もてない」、「私は収入が少ないから、もてない」というように考えることを言います。
このような状態では、自分自身が成長することは出来ず、何かが出来ないことに対して言い訳しながら生きていくことになってしまいます。
そのため、ここで重要なのが「現実にどう立ち向かうか」(岸見、2013)ということなのです。
4.4人生は他者との競争ではない
私たちは、他者と自分を比べがちです。そして、そこから劣等感を感じてしまいます。しかし、それは健全な劣等感とは言えません。
「健全な劣等感とは他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの」(岸見、2013)
であるべきなのです。
そのため、他者と比較して、自分がどれくらいのところにいるのかを考えるのではなく、
「今の自分よりも前に進もうとすることにこそ価値がある」(岸見、2013)
のです
4.5まとめ
今回は嫌われる勇気の第2章について考えていきました。
ここで重要だったのは、他者と自分を比較するのではなく、理想の自分と比較するということです。そして、前進した自分には、素直に、称賛することも必要だと思います。
参考:岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013
嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- トラウマを否定せよ
続いては嫌われる勇気の内容について説明していきます。
前回の記事はこちら
3.嫌われる勇気の内容-第1章トラウマを否定せよ-
3.1 トラウマは存在しない
まず始めに、アドラー心理学を理解するには、原因論ではなく、目的論で考える必要があります。
原因論とは、現在の状況を過去に原因があると考えるものであり、目的論は、現在の状況は未来の目的のために自身で作り出したものであると考えます。
具体的には、「A君が家に引きこもっている」と状況を、社会に対して恐怖を感じたから引きこもっていると考えるのが、原因論の考え方であり、外に出ないという目的があるという考え方が目的論です。
トラウマについての話に戻りますが、アドラー心理学は、トラウマを否定しています。アドラーは、
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。……(トラウマとは)自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する」※()は筆者の補足
と述べています。つまり、トラウマとは、私たちが持つ経験に、私たち自身がどのような意味を与えるのかによって左右されるということです。ここで前述の目的論が重要となってきます。原因論にとらわれているままでは、トラウマは存在し続けます。未来の目的のために現在が存在していると考えることが出来ると、過去の経験は過去でしかなくなります。
3.2 あなたの不幸はあなた自身で選んだもの
今あなたは、幸福ですか。それとも不幸であると感じていますか?
不幸であると感じている人へ。
「いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだから」だと本書では述べられています。
どういうことでしょうか?
これも目的論の考え方を利用します。
「不幸であるという状況」は、何かしらの過去が原因となって、与えられたものではなく、幸福になりたくないため、自ら選んだものなのです。不幸でい続ければ、多くの人から「かわいそうに」といったように同情してくれるかもしれません。またかわいそうだから、優しくしてくれるかもしれません。そのため、自ら不幸であることを選択したのです。
例えば、過去に「貧困を経験した」、「親が離婚を経験した」から不幸なのであると考える人もいるかもしれません。しかし、その経験を不幸と考えるかそう考えないかは、自分自身です。「貧困を経験した。だから、いまは仕事を頑張って、家族を楽させたい。」と考えたり、「親が離婚を経験した。だから、自分は家族を大切にしたい」と考えることは出来ます。私たちが、過去にどのような意味を与えるかによって不幸は不幸ではなくなります。
3.3 あなたの人生は「いま、ここ」で決まる
私たちの人生はどのように規定されるのでしょうか?
私たちは常に「Yさんみたいになれればなぁ」というように、他人をうらやんでしまいます。
しかし、
「「もし何々だったら」可能性の中に生きているうちは、変わることなどできません。なぜならあなたは変わらない自分への言い訳として「もしもYのような人間になれたら」と言っているのです。」
私たちは、可能性の住人になるのではなく、「いま、ここ」を生きるべきなのです。
私たちのこれまでの人生や誰かのあこがれは「今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない」のです。
3.4 まとめ
『嫌われる勇気』の第1章について、考えてきましたが、この章で述べられていることは、「目的論で考えること」、「経験にどのような意味を与えるかは自分次第である」ということです。
次回は第2章について考えていきたいと思います。
引用文献:岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013