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最終修正日:2021年11/23

 

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誰が自殺するの?2

前回に引き続いて、高橋祥友『自殺予防』岩波新書 2006から近年問題となっている自殺についてどのような人が自殺を選んでしまうのか、身近な人間はどう振る舞えばよいのかについて考えていきたいと思います。

前回の記事はこちら↓

socialandstudy.hatenablog.com

 

 

 

 

第2章 自殺の心理

2 自殺する人としない人の違い

高橋氏は自殺する危険が差し迫っている人の特徴を自殺前症候群として紹介しています。

①閉塞感

②攻撃性の逆転

③自殺幻想

 

①閉塞感

「耐え難い状況に置かれて自分は全く無力であり、絶望感に圧倒され、生きる意味さえ見いだせず、誰もそこから救い出してくれるはずがないという思い」(高橋、2006)です。

 

②攻撃性の逆転

他者や社会に向けられていら攻撃性が自身に向けられるようになると自殺の危険が上昇します。

 

③自殺幻想

これは、自殺をすることが自らの状況から逃れる唯一の方法だと思い込むことです。

 

自殺をする危険にある人には上記の3つのような症状がみられるといいます。

そのため、この兆候にできるだけ早く気づくことが自殺予防につながります。

 

自殺に追い込まれる人に共通する心理

自殺に追い込まれる人に共通する心理として7つ紹介します。

 

①極度の孤立感

 

②無価値観

「自分は生きるに値しない」、「生きていても仕方がない」と思い込むことです。これが深い絶望感につながり自殺の危険が高まります。

 

③強度の怒り

窮状によって向けられていた他者や社会への怒りが事故に向けられたとき、自殺の危険が高まります。

 

④窮状が永遠に続くという確信

 

心理的視野狭窄

自殺が窮状を脱す唯一の解決策であると思い込むことです。視野が狭くなってこのように考えてしまうと高橋氏は述べています。

 

⑥諦め

「ありとあらゆる必死のたたくを試みた後に独特の諦めが生じ始める」(高橋、2006)

と言います。

「もうどうなってもいい」「どうでもいい」といった感情がそれです。

 

⑦全能への幻想

絶望、無価値観、孤独、諦めにさいなまれた人にとっては死ぬことがこれらから逃れる方法だと思い込むことです。

 

3 「自殺したい」と打ち明けられたら

①誰でもよいから打ち明けたのではない

自殺者の大多数は自殺する前に誰かに自殺の意思があることを打ち明けています。その相手は、意識的、無意識的に特定の誰かを選び出しています。

そのため、「あなた」を選んで打ち明けているので、それをしっかりを受け止めることが大切です。

 

②生と死の間で激しく揺れ動いている

自殺願望を持つ人は「死にたい」という気持ちと「生きたい」という気持ちの間を揺れ動いている。「生きたい」という気持ちが上回っているからかろうじて生きているとも言えます。

そのため、「死にたい」という言葉は文字通りの意味ではなく、「生きたい」「助けて」「見捨てないで」といった意味を含んでいるのではないでしょうか。

 

③時間をかけて訴えを傾聴する

「死にたい」と打ち明けられて時は、

「危機的な状況であると同時に、その悩みを受け止める絶好の機会でもある」(高橋、2006)

と高橋氏は述べています。

そのため、時間をかけて聞き役に徹するべきです。

 

④沈黙を共有してもよい

自殺願望を持つ人の悩みにはあまりにつらすぎてその人自身も言葉にうまくできないこともあります。

その時は沈黙を共有しても構わないといいます。

話を聞いているという事実やその姿勢が重要だといえます。

 

⑤してはならないこと

・話題をそらすこと

・表面的な激励をすること

・𠮟りつけること

・社会的な価値観を押し付けること

これらのことをしてしまうと、二度と胸の内を話てくれず、自殺が決行されてしまう可能性があります。

 

⑥悩みを理解しようとする態度を伝える

自分と向き合ってくれていると感じさせることが重要だからです。

 

⑦十分に話を聞いたうえで他の選択肢を示す

話を聞く人が他の選択肢を示すことで、

「問題を客観的にとらえ、冷静に対処する」(高橋、2006)

ことに繋げていくことが重要です。

 

⑧いつも「自殺」の話題から打ち明けてくれるわけではない

深刻な相談をしたくてもすぐにその話題に入れるわけではありません。

そのため、当たり障りのない話をすることがあります。

聞く側には我慢強く聴くことが必要です。

 

第5章 家族を支える、遺族をケアする

ここでは、自殺が決行されてしまった場合の反応について簡単に紹介します。

 

遺族に生じる反応

自殺の一報を受けて、それを受け止めることのできる人はほとんどいません。

遺族の良くある反応としては、

①「あの時自分がこうしていれば自殺を防げた」というように自身を責めてしまうこと

 

②特定の誰かへ怒りを向けること

 

③死因が自殺であることを周囲に隠そうとする

 

④本人が自殺をほのめかしていたり、自殺未遂を繰り返していた場合には、「これで本人も自身を苦しむことはなくなる」という一種の救済感を覚える一方で、解放されたと感じてしまった自分に対して、罪悪感を感じてしまう

 

上記が考えられます。

遺族がうつ病PTSDなどになってしまう場合があることから周囲の人間が支える必要があります。

 

まとめ 

これまで、自殺予防について考えてきました。

自殺を予防するためには、話を聞く姿勢が大切だと思います

 

 

socialandstudy.hatenablog.com

 

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誰が「自殺」するの?1

今回は、高橋祥友『自殺予防』岩波新書 2006から近年問題となっている自殺についてどのような人が自殺を選んでしまうのか、身近な人間はどう振る舞えばよいのかについて考えていきたいと思います。

自殺は「強制された死」である

自殺に関する言説には、

「全ての人間には生死の決定権がある。だから自殺することは、自己決定の結果であり止めるべきではない」

というような主張があります。

しかし、このような言説に高橋氏は、

「自殺を考える前の追い詰められてしまった人というのは、最後の瞬間まで、「死にたい」という気持ちと「生きたい」という気持ちの間を激しく揺れ動いている」(高橋、2006)と述べています。

また自殺の背後には、うつ病があることが多いことからも

「自殺は自由意志に基づいて選択された死などではけっしてなく、いわば「強制された死」である」(高橋、2006)と主張します。

これは、ある人間が、ある人間を間接的に死に追いこんだというわけではなく、社会の様相や個人の社会的背景が死に追い込んだということです。

(ある人間が、ある人間を間接的に死に追い込むことももちろんありますが全体としてみると非常に少数であると思われます。)

 

マスメディアの影響-群発自殺とネット心中

自殺が社会問題として報道されるようになったことでそれに対する人々の理解も進んでいきました。

それを報道するマスメディアが適切な情報発信をすることで自殺予防に寄与する一方で、報道によっては自殺を逆に促進してしまうということが起こりました。

それが、

群発自殺

②インターネット集団自殺

です。

群発自殺

これは、

 

・複数の人々が引き続いて自殺していく現象(連鎖自殺)

・複数の人々がほぼ同じ時期に同じ場所で自殺する現象(集団自殺

・特定の場所で自殺が多発する現象(自殺名所での自殺)

(高橋、2006 より)

 

などが挙げられます。

初期の自殺行動が誇張・美化されてセンセーショナルに報道されることによって、思春期の人々、心の健康に問題を抱えている人などの潜在的に自殺の危険が高い人にとって、他者の自殺がモデルとされ、病的な同一化を促進してしまいます。

 

インターネット集団自殺

インターネット集団自殺は複数の人々がインターネットを通じt知り合い、一緒に自殺するものでメディアにセンセーショナルに報道されることで話題になりました。

これも群発自殺と同様にじさつの危険の高い者同士がインターネットを通じてあつまることで負のエネルギーが一挙に高まってしまいます。

 

自殺の心理

自殺の危険をどう捉えるか

自殺の危険を捉える要素として自殺の危険因子というものがあります。

自殺の危険因子:自殺につながる危険のある因子

自殺の危険因子を多く持つものを見つけることによって自殺予防につながると高橋氏は指摘しています。

 

自殺予防の十箇条

上記の自殺の危険因子を踏まえたうえで、自殺予防の十箇条について確認しましょう。

下記の症状に早く気づき対照することで自殺予防につながります。

 

うつ病の症状に気を付けよう

これは言うまでもありません。自殺者の多くがうつ病を発症しているといいます。

 

②原因不明の身体の不調が長引く

うつ病の症状でもあります。うつ病は精神の症状だけでなく、身体の症状も生じるので注意が必要です。

 

③酒量が増す

中高年で徐々に酒量が増していく場合には、背後にうつ病が潜んでいることがあります。

 

④安全や健康が保てない

糖尿病の治療をやめてしまう、何の連絡もなしに失踪してしまう、全財産をかけるような株式投資に打って出るような安全や健康が保てなくなるといった形での行動の変化が現れると要注意です。

 

⑤仕事の負担が急に増える、大きな失敗をする、職を失う

「日本の年間法定労働時間は1800時間であるが、それが3000時間(月間250時間)を超えると、過労死や過労自殺の率が3~5倍も高まる」(高橋、2006)と言います。

また大きな失敗、職を失うことで自分の存在価値を見失うこともあります。

 

⑥職場や家庭でサポートが得られない

離婚した人、配偶者と死別した人のような孤立、孤独な人は、これらに歓喜のない職場、家庭関係が充実している人と比較して自殺率は3倍以上高いといいます。

ここから孤独、孤立は人体に悪影響であるということがわかりますね。

 

⑦本人にとって価値のあるものを失う

 

⑧重症の身体の病気にかかる

人生の意味、これからの生活などを大きく変えることになり自殺の危険が高くなります。

 

⑨自殺を口にする

⑨、次の⑩の段階まで行ってしまうと本人の判断能力が限られたものになっており正しい判断が出来ていない状態であるといえます。そのため、周囲に人間が働きかけて治療を進める必要があります。

「「死ぬ、死ぬ」と言って言う人は本当は死なないと広く信じられているが、これは大大きな誤解である。自殺者の大多数は、最後の行動を起こす前に自殺の意図を誰かに打ち明けている。」(高橋、2006)

 

⑩自殺未遂に及ぶ

いうまでもなく危険な状態です。

自殺未遂をして助かったとしても同じ行動を繰り返すことで自殺をしてしまうことがあります。

また自殺未遂をした人が自らん行為を他人事のように語ったり、他行的、軽躁的になることがあります。これは、自殺未遂がカタルシスの効果を与えているためです。

 

以降は次の記事にしたいと思います。

次の記事はこちら

 

 

 

 

 

教師にとっても子どもにとっても納得の指導とは?

今回は、めがね旦那『その指導はしない』2021 東洋館出版会から、教師にとっても子どもにとっても納得、合理的な指導とはどのようなものか考えていきたいと思います。

第1章 学習規律編

あいさつの必要性

めがね旦那氏はあいさつの必要性について疑問を呈しています。

そもそも、授業前後のあいさつの目的とは何でしょうか?

一般的な答えとしては、授業と休み時間の切り替えを行うこと、すなわち、スイッチのオン・オフの機能を果たすものであると考えられていると思います。

しかし、ここで、あいさつによって子どもの気持ちが切り替わっているのかという疑問が生じます。

チャイムや時間がそれを行っており、行われるべきであるとめがね旦那氏は主張しています。

実際に、めがね旦那氏のクラスでは、挨拶を取り入れてはいませんが、子どもたちは、休み時間から授業への切り替えは出来ているそうです。

また、1日6時間の授業で年間200日授業日があると考えると、年に1200回挨拶をしなければなりません。

その様な状態では、あいさつは非常に形式的なものになってしまい、一般的な目的を達成することが出来ないのではないかと思います。

 

児童の主体性は教師への忖度

現在の教育では、主体的・対話的で深い学びが目指されています。

そのため、学校内で教師は、子どもたちに主体性を発揮することを求めます。

しかし、その主体性が学校の中では教師の都合の良いものが想定されているのではないかとめがね旦那氏は主張します。

すなわち、児童が教師の想定している主体性を想定して、それに合ったように主体性を発揮しているのではないかということです。

なぜなら、授業内で子どもたちが主体的な学びをするということは、「極論を言えば、「その活動をしない」という選択さえ認められるべき」(めがね旦那、2021)(P.33)だからです。

しかし、実際にはそれは許されないことから教育現場での主体的な学習が真の主体的な学習にはなりません。

 

第2章 学習指導編

宿題は残業と同じ

めがね旦那氏は宿題を課すことを好んでいません。

その理由としては、

①宿題は不平等の極み

②宿題込みの学力形成は授業者の怠慢ではないか

③宿題の点検等の業務は他業務を圧迫する

という理由をあげています。

 

①宿題は不平等の極み

子どもは家庭環境、学習環境、学力などに、それぞれ差異があるにも関わらず、同一の内容の宿題を強いることは不平等ではないでしょうか。

家では、親に宿題を見てもらえ、自分の部屋を持ち、学習塾などを利用して学習することが出来る子どもがいる一方で、家に親がいることが少なく、自分の部屋を持たず、学習塾にも通えない子どもが果たして同一の内容をこなすことが出来るのでしょうか?

 

②宿題込みの学力形成は授業者の怠慢ではないか

「本来、学校つけたい学力は学校の中でつけさせるべき」(めがね旦那、2021)(P.54 )というのがめがね旦那氏の主張です。

復習として宿題を課すべきという主張も存在しますが、めがね旦那氏はその復習すらも授業内に取り入れるべきではないかと述べています。

 

③宿題の点検等の業務は他業務を圧迫する

これは言うまでもありません。特に小学校の担任にとって、宿題の点検は大きな負担になっています。

 

以上の理由からも宿題を課すことは、教師、子どもたちにとっても負担であると言えれるでしょう。

 

黒板の内容をノートに写す意味

授業といえば、黒板の内容をノートに写すということを想像する方が多いのではないでしょうか。

しかし、めがね旦那氏は、黒板の内容を必ずしもノートに写す必要が無いのではないかと主張しています。

授業内容を覚えるという点から考えても黒板の内容をそのままノートに写しても覚えられるのかという疑問が残ります。

また、ノートを取る速度には個人差があるため、速度が遅い児童は教師の話を聞きながらノートをとらなくてはならない場合があると思われますが、それは、難しい作業なのではないでしょうか。

こうして、授業についていける子どもとついていけない子どもが出来ていく側面もあると思います。

そのため教師の話を聞く時間とその内容や板書を基に自分なりにノートにまとめる時間に分けることなどが必要であります。

 

子どもは教師の自己実現の道具ではない

教師の仕事は「やりがい」を基にしているからこそ教育活動が驚異の自己実現の道具になってしまうことがあります。

具体的には、運動会での団体競技、卒業式の掛け合いなどで必要以上に質の高いものを求め練習させている場合などが挙げられます。

これは教師の「成功させてあげたい」「自信をつけさせてあげたい」という良心などからきている場合があるため厄介です。

つまり、伝統を壊さないため、、自己の指導で成功させたいという気持ち、見栄などの自己実現的な目的で指導してしまうという危険性を常にはらんでいます。

 

人権侵害の二分の一成人式

二分の一成人式は現在、全国で行われている学習活動であり、自分の生い立ちを振り返り、10年間の感謝の気持ちを親に伝えるという内容が一般的となっています。

めがね旦那氏は、この活動を「危険な活動」であると位置づけています。

なぜなら、ネグレクトや虐待、不仲などで親に感謝することが出来ない児童が存在することが容易に想像つくからです。

そのような児童に親への感謝の気持ちを強いることは体罰に他なりません。(実際に実際に体罰として位置付けられているわけではありません)

このような危険を持つ二分の一成人式を行う背景には、

「「すべての子どもたちは過程で十分な愛情を受けて育てられている」というような前提」(めがね旦那、2021)(P.66)があります。

 

第3章 生活指導編

真面目な子が損をする教室

教師はついつい「気になる子」(授業を受けてくれない子ども、トラブルが多い子ども)ばかりを気にしてしまいます。

そのため、「気にならない子」(真面目な子ども、問題を起こさない子ども)には、目を向けることを忘れてしまいがちです。

このような状況下では、「気にならない子」が問題を抱えていたとしても教師は気付くことが出来ず、そのままになってしまいます。

 

ごめんねいいよ指導

ごめんねいいよ指導とは、喧嘩等のトラブルの際に、教師が、加害者に「ごめんね」、被害者に「いいよ」と言わせる問題解決の方法のことです。

この指導の目的は、トラブルに区切りをつけることで子供に気持ちの切り替えを行わせるという目的と教師が一応の問題解決はしたという対面を保つための指導とも取れます。この指導には弊害が存在し、それは子どもに認識に影響を与えます。

それは、「このような指導を繰り返されてきた子どもたちは「ごめんねと言えば、いいよと言ってもらえる」という誤った学びをすることがある」(めがね旦那、2021)(P.102 )ということです。

これが対人関係の歪みにつながることもあります。

そのため、トラブル等の解決では、双方の話を聞き、謝罪をさせますが、それに対して、被害者の気持ちが落ち着き、切り替えられるまでは、許しを強要しないことがひつようであるとめがね旦那氏は、述べています。

 

まとめ

以上よりめがね旦那氏が主張するいくつかの合理的な指導形態について紹介してきました。

現在の教育現場には様々な問題が起きています。(すべてが教師のせいではないと私は考えます)

それを解決する糸口になるものもありそうですね。

興味がある方は是非読んでみてください。

 

 

 

 

知的障害児に勉強をさせるには?

今回は、村中智彦『知的障碍児の指導における課題遂行の促進』2015 渓水社から知的障害児への働きかけの方法について考えていきたいと思います。

 

手続き

個別指導を行う上

での手続きにはいくつかの方法があります。

 

  1. 環境設定とスケジュールの構造化
  2. 断続志向
  3. フリーオペラント

の3つです。

 

1.環境設定とスケジュールの構造化

知的障害児には構造化された環境設定が必要とされます。

構造化では、児童に提示する内容やその方法を明確にすること、簡潔にすることが求められます。

 

個別指導においては、提示された課題以外の不要な刺激を配乗吸うことで、提示された課題のみに集中させる環境設定が有効です。

(特に自閉症児への有効性が顕著です。)

 

課題の提示などの指導者の働きかけの環境設定の構造化と不要な自劇を排除するという物理的環境の構造化が存在します。

 

2.断続試行

断続試行は、

手がかり→プロンプト→反応→結果

という流れで進められます。

 

手がかり:指導者が対象時に明確な指示、質問をする。

 ↓

プロンプト:手がかりとほぼ同時に指導者が対象時に正しい行動へのヒントなどの援助を行う。

 ↓

反応:対象児の反応

 ↓

結果:対象児が正しい反応(行動)をしたときにはほめる等の強化刺激を与え、正しくない反応をしたときには注意、代替行動を示します。

 

しかし、断続試行の課題として

 

・対象児の反応の維持が難しいこと

・対象児の自発性の喚起が難しい点

などが挙げられます。

ですが、宿題などの指導者が行わせたい行動を促す際にはこの方法が有効です。

 

また新しい課題、難しい課題に取り組む際、空白の時間には対象児の嫌悪性の高まりや、回避、逃避といった逸脱行動が生じやすくなります。

そのため、空白時を作らずに、対象児に働きかけることが重要です。

 

3.フリーオペラント

フリーオペラントは構造化された環境設定や指導者が提示した課題を遂行させるのではなく、対象児の自発的な行動に正しい反応へのアドバイスをやほめるなどの強化刺激を与えるものです。

つまり、対象児の行動をもとに、それを正しい方向に向ける、伸ばすための

手助けをするものです。

 

対象児の自発性をもとに指導する点で対象児の自由度が高いといえますが、その分、指導者が、対象児の自発的な行動を待たなくてはならないため、根気が必要であるといえます。

 

先行操作とその関連概念

次に、先行操作とその関連概念について説明していきたいと思います。

 

先行操作

対象児の逸脱行動を未然に防ぐために、状況事象、弁別刺激、確立操作を適切に設定することです。

 

先行操作によって、

「望ましくない行動の反応努力を減らすことで望ましい行動が起きる確率は高くなり、のぞましくない行動が起きる確率は低くなる」(村中、2015)

と言います。

具体的には、漫画やゲームに囲まれている、すぐにいつでもさぼれるような部屋で勉強させるのではなく、勉強道具以外何もないような部屋で勉強したほうが、さぼらなくなるということです。

つまり、先行操作とは、さぼりにつながるような要素を先に取り除くことです。

 

次に、状況事象、弁別刺激、確立操作について説明していきたいと思います。

 

状況事象

個人の行動を促進したり、抑制する社会的、環境的な事象です。

次に説明する弁別刺激を比較して複雑なものであり、行動と事象の間に時間的な距離があります。

 

具体例としては、

・生理的なもの(尿意、食欲等)

・認知情動的なもの(ある事象についてどう認識、感じているか)

・物理的環境(家具の配置、学校での座席等)

・人間関係

があります。

 

弁別刺激

弁別刺激とは、ある刺激が特定の行動を促進する、抑制する刺激です。

具体例としては、

「雨が降っているから家から出ない」

といったことが挙げられます。

これは雨が降っているという事象(弁別刺激)によって外出という行動が抑制されています。

 

確立操作

確立操作は「ある刺激の強化力を変える環境事象や生理状態である」(村中、2015)。

具体例としては、

一日徹夜することは睡眠の強化力を高め、睡眠に対する執着を強めることになります。ここで眠らせないことが確立操作です。

ダメというとやりたくなることに似ていますね。

確立操作には特定の刺激の増強機能があり、それによりもたらされる結果にも影響を与えます。

また、一度強化された行動の生起確率を一時的に高める機能があるため、先ほどの具体例で考えると、一日徹夜をしたことが、以前にもあった場合、眠らせ合いという行動が眠りへの執着を高めることになります。

 

上記3つからなる先行操作でいえることは、

逸脱行動につながる事象、刺激を事前に取り除くことが重要であるということです。

 

まとめ

知的障害児への働きかけとしては、余計なものを排除すること、働きかけの連続性が必要であるということがわかりました。

やはり、対象児に他にやることがあるというように思わせないように指導者が工夫することが必要だと思います。

興味がある方は是非読んでみてください。

 

 

参考:村中智彦『知的障碍児の指導における課題遂行の促進』2015 渓水社

 

子どもを叱る・ほめる・認める技術

今回は、南惠介『子どもの心をつかむ!指導技術 「ほめる」ポイント「叱る」ルール「認める」心得』2017 明治図書 から子どものしつけ、指導のポイントについて解説していきたいと思います。

 

「ほめる」と「認める」の違い

まず始めに、「ほめる」と「認める」の違いについて説明していきたいと思います。

 

ほめる

「「できたこと」「秀でたこと」「前よりプラスに変化したこと」に対して行われる行為」(南、2017)であり、立場が上の者から下の者に対して行われるものです。

 

認める

子どもの良いところ、悪いところも含めて子どもの存在を認めること。

 

上記2つを比較すると、「ほめる」は評価という意味合いに感じられるのに対して、「認める」は受容という意味合いに感じられますね。

「ほめる」は評価の意味合いが存在するため、常にほめられると、疲れてしまいます。

そのような評価に子どもたちを染め切らないようにするために、「ほめる」だけを行うのではなく、子どもたちを「認める」ことも必要だと思います。

 

「ほめる」ポイント

次に、具体的に「ほめる」ポイントについて説明していきたいと思います。

 

ロスタートで子どもを見る

ほめる際に、教師が「こうなったらほめる」というように決めることもできますが、それでは、ほめる機会が少なくなってしまうとともに、教師自身が、期待している分、その期待を裏切られた感覚になってしまい、悪循環に陥ってしまいます。

そのため、教師が基準を決めてそれに達した子どもをほめるのではなく、スタート時(最初に出会ったとき)の子どもの様子を基準とし、そこから少しでも良い方向に進んだらほめるようにする。

ロスタートで子どもを見ることが重要です。

 

言いがかりをつけるようにほめる

子どもに対して自分はあなたを公的的に見ているということを示すことがほめることの究極的な目的であると南氏は述べています。

つまり、ほめることは何でもよいのです。理由も根拠もなく、言いがかりをつけるようにほめることも必要であると思います。

 

「叱る」ルール

続いては、叱ることのルール等について解説していきます。

 

副作用を理解し、それでも叱る

叱ることには「「ルール」や「マナー」をはっきりさせるという機能」(南、2017)があります。

しかし、「子どもたちの「自尊感情」を間違えなく引き下げる」(南、2017)というデメリットが存在します。

また教師と子どもの間に距離が出来るので、叱ることは劇薬であるといえます。

そのため、いつ使うかを考え中ればなりません。

つまり、「〇〇したら叱る」という基準を決めておく必要があるということです。

 

原則を決めて叱る

ここでは、植草学園大学教授の野口芳宏氏が主張する「叱る三原則」について紹介していきます。

 

叱る三原則

  1. 命にかかわる危ないことをしたとき
  2. 人の不幸の上に自分んオ幸せを築こうとしたとき
  3. 三回注意されても直そうとしないとき

2.はいじめ等、が想定されます。

3.では理不尽な要求をしないことが注意点として挙げられます。

 

軽重をつけて「叱る」

叱るにしても、それが軽い段階で子どもたちが直すことが出来れば、デメリットも少なくてしみます。そのため、軽→重のように叱る程度をあげていきます。

レベル別に紹介していきます。

  1. 「今○○しているよ」というこいの確認
  2. 代替行動(代わりに取るべき行動)を示す
  3. 顔をしかめる、おしいという、笑顔でダメ出し
  4. I メッセージ(私はこう感じる)を伝える
  5. 淡々とした注意、教え諭す
  6. 怒りを含んだ注意
  7. 厳しい声でも叱責
  8. 天地もひっくりかえるくらいの叱責

(南、2017)

全てを使う必要はありません。

教師の性格に合わせて使い分けていくことも必要です。

 

表情を消す

笑顔や怒った顔というものは理解しやすい、周りから見て分かりやすい表情です。

そのため、叱る際に効果を高めるためには表情を消すことが有効になります。

 

叱る前に事実関係をはっきりさせる

叱ることを有効にするためには事実関係をはっきりさせることが必要です。

皆さんも、叱られる際に、教師などが、自分の話を聞いてくれなかったり、信じてくれずにもやもやした気持ちで叱られた経験はないでしょうか?

これは事実関係のギャップを叱る側と叱られる側の間に作らないようにすることで子供の教師への不信感の発生を抑制するという目的があります。

 

苦手さのある「あの子」を叱る

発達障害などの特別な支援が必要だといわれている子どもの中には、適切は行動、不適切な行動の判別がついていないことがあります。

その様な子どもの不適切な行動は、

「様々な環境要因によって不安と緊張状態になり、やむなく「してしまっている」ことが多い」(南、2017)

と言います。

このような子どもには叱ることが自尊感情を傷つけ、心を閉ざしてしまうことになりかねないため、適切となるとは限りません。

そのため、注意して支援することが必要です。

 

「認める」心得

最後に認めることの心得について説明していきたいと思います。

 

あるものをほめる

認めることにおいて、基本的には教師は受動的です。

その中で、教師が出来る数少ない「認める」方法が、「あるものをほめる」ことです。

これは、子どものあるがままを肯定することです。

具体的には、「笑顔が素敵だね」「元気がいいね」「姿勢がいいね」というような感じです。

 

「待つ・見守る・関わる」姿勢を心がける

子どもの努力を待つこと、子どもの挑戦、失敗などをに守ること子どもとかかわるという意識が大切です。

すぐに結果を求めがちであるが、子どもを信じることが求められます。

 

まとめ

これまで、子どものしつけ、指導のポイントについて簡単に解説してきました。やはり、叱ることは、使い方を考えて注意して使わないといけませんね。

興味がありましたら是非読んでみてください。

 

参考:南惠介『子どもの心をつかむ!指導技術 「ほめる」ポイント「叱る」ルール「認める」心得』2017 明治図書 

 

『ナショナリズムとジェンダー』からジェンダー観を考える3

今回も前回に引き続いて、上野千鶴子ナショナリズムジェンダー』1998 青土社からジェンダーナショナリズムの関係について考えていこうと思います。

前回の記事はこちら↓

socialandstudy.hatenablog.com

 

 

Ⅲ 「記憶」の政治学

4-1 日本版「歴史修正主義者」たち

1990年代、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)による自虐史観の是正の取り組みによって、「慰安婦」記述を削除することが要求されました。

つくる会をはじめとする歴史修正主義者が「慰安婦問題」主張していることは以下の4つです。

①「「慰安婦」強制連行を裏付ける実証資料がない」(上野、1998)点

つまり、文書資料が残っていないということです。

②「文書資料至上主義の実証私学の立場から、被害者の証言の信頼性を疑う」(上野、1998)という点

③「性の暗黒面を中学生に教えるのは適切ではない点」

この主張は、中学生がイノセントであるという立場に立っています。

しかし、これは「一方でメディアの生情報の氾濫にさらしながら、他方で子供たちの「無垢」を想定するのはたちの悪い偽善というほかない」(上野、1998)と上野氏は述べています。

またこの③の主張には性はよいものであるという前提に立っていますが、

「性を「生の歓び」の表現に吸うことも可能だが、他方で「他者の蹂躙」のために使うことも、残念ながら可能である。」(上野、1998)

そのため、この主著はおかしいといえるでしょう。

④「「自己悪逆史観」からいい加減に脱却して、自国に誇りを持てる正史を」(上野、1998)という点

しかし「「正史」はたった一つの正当化された「国史 national history」を作り出すことで「国民」の間にある多様性や対立をおおいかくす」(上野、1998)。

そこで「慰安婦」問題をめぐってジェンダー氏が提起した課題とは

①「実証史学」と学問の「客観性・中立性」神話

ジェンダー史と国史との関係

でした。

 

4-2 「実証史学」と学問の「客観性・中立性」神話

現在の「慰安婦」問題をめぐる争いでは、「強制連行はあったか、なかったか」「日本軍の関与を示す文書は存在するか」という実証性という面で争われています。

しかし、この争いの背景には、「歴史的事実というものが誰が見ても寸分違わないすがたで客観的実在として存在しているかのような史観」(上野、1998)があると思われます。

つまり、「実証史学」には「文書資料中心主義」と飼料への信頼性への絶対視があります。

「公」文書は支配者の権力、権威によって正統化された文書であるため、

「支配権力の側が自己の犯罪を隠蔽したり正当化したりする動機づけを持っているところでは、この史料の「信憑性」もまた問われるべきであろう」(上野、1998)

 

4-3 オーラル・ヒストリーをめぐって

文書資料中心主義に基づく「書かれた歴史」は男性による歴史の記述です。また男性による女性の記述です。

「男によって書かれた女についての表象は、女についてどんな「事実」も伝えないが、男が女について何を考え何を幻想していうるかについての男の概念については雄弁に語る。」(上野、1998)

女性史にとって最大の課題とは、女性にいかに語らせるかです。

そこで女性史は、口述によるオーラルヒストリーを重視しました。

オーラル・ヒストリーには、問題もあります。

 

オーラル・ヒストリーの問題点

①忘却や記憶違い

②非一貫性(つじつまが合わないことがあります)

③記憶の選択制(何を言うか言わないか、どのように言うかを話し手が決めることが出来ます)

④あくまで現在からの過去の想起である

 

しかし、「正史」にもオーラル・ヒストリーがが持つ問題点がすべて含まれています。

 

「正史」の問題点

①忘却や記憶違い(あったことをなかったことにする)

②非一貫性(「正史」の中にも存在します)

③記憶の選択性(権力者の行為は記録され、民衆や被抑圧者などのお記憶は残されていないケースが多数あると思われます)

④あくまで現在からの過去の想起である

「時代と解釈が変わるにつて、常に現在における書き残しの中に置かれている」(上野、1998)。

つまり、再審の連続であるといえます。

 

5-1 歴史の語られ方

歴史が過去の再構成であるとすると、歴史の語られ方が問題となります。

慰安婦」問題では、「慰安婦」の語りによって

「当事者の空白の過去、抑圧された記憶の回復という大きな変化が起きた。それがどんなネガティヴな記憶であれ、ぞ分の過去を「意味あるもの」として一図けることで、彼女たちは自己の全体像を回復したといえるだろう。」(上野、1998)

この「語り」においては加害者と被害者の間で落差があるといいます。

つまり、加害者と被害者の間には、「まったく異なったふたつの「現実」が生きられており、当事者はひとつの「事実」を共有さえしていない」(上野、1998)。

むしろ複数の「現実」が存在しています。

 

5-2 被害者の「現実」の構成

被害者の「現実」は被害者の語りによって構成されます。

すなわち、「語ることで語り手は「被害者」としての主体形成をする」(上野、1998)ということです。

オーラル・ヒストリーにおいて語りには、被害者の「現実」がとぎれとぎれの断片として現れます。

「女性史にとっては、オーラル・ヒストリーのこの非一貫性こそが、「支配的な現実」の亀裂を示す決め手となる」(上野、1998)。

この語りの場では、聞き手にとって都合の良い「理想の被害者」が作られることがあります。

例えば、殺人事件の被害者の美談を集めて必要以上に美化しようとすることなどが挙げられると思います。

このように被害者の被害者性を増させる行為は、加害者への加担に他ならないと思います。

 

まとめ

以上、これまで3回にわたってジェンダーナショナリズムについて考えてきました。

この世界には、一つの「現実」ではなく、人によって異なった複数の現実が存在しているということが印象的でしたね。

もし、この本について気になった方がいれば、是非読んでみてください。

参考:上野千鶴子ナショナリズムジェンダー』1998 青土社