嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- アドラーとはどんな人?
岸見一郎、古賀史健による『嫌われる勇気』ダイアモンド社 2013 からアドラー心理学について考えていきたいと思います。
1.アドラーってどんな人?
アドラー(アルフレッド・アドラー)は,1870~1937年を生きたオーストリアの精神科医です。心理学の分野では、ユング、フロイトと共に、三大巨頭として挙げられています。
1.1アドラーの幼少期
アドラーは1870年、ウィーンで6人兄弟の2人目として生まれました。父はユダヤ人であり、アドラーもユダヤ人の血をひいています。幼少期は病弱で、活発に動くことのできる他の兄弟をうらやましく思っていました。しかし、友人と外で遊ぶうちにすっかり元気になったといいます。
そんなアドラーにのちの人生を決めるような転機が訪れました。それは、弟が1歳で亡くなったことです。そのことと自身の病弱が医者を目指す転機となりました。
1.2医者として
アドラーは勉学に熱心に取り組み、「1888年にウィーン大学に入学、その後、1895年、ウィーン大学の医学部を卒業し学位を得ました。」(岸見、1999)その後、眼科医、内科医として活動しますが、それと並行しながら、精神医学について興味を持ち、フロイトの研究グループ(のちのウィーン精神分析学会)に参加していました。しかし、フロイトとの考え方の相違から、対立し、精神分析学会から弟子と共に去りました。
その後、アドラーは、1912年に個人心理学会を創設します。これが、ユング、フロイトと比較したアドラーの心理学の革新的な点ですが、後述します。
1.3心理学者として
1914年に第一次世界大戦が勃発しますが、アドラーはそれに軍医として参戦しました。ここでは、入院している兵士を、退院後に戦地に送るか否かの判断をしなけらばなりませんでした。そのため、アドラーは、「苦痛であり、眠れぬ夜を過ごした」(岸見、1999)と述べています。
1.4アドラーの晩年
ドイツでナチスによる、ユダヤ人の迫害が行われるにつれて、アドラーは、活動の拠点をアメリカに移します。(1930頃)そして、大学教授として、活動するようになりました。しかし、1937年、講演先のスコットランドにて、心臓発作で倒れ、亡くなりました。
参考:岸見一郎『アドラー心理学入門』ベスト新書1999
2.アドラー心理学とは?
アドラー心理学とは、アドラーが創始した心理学のことで、個人心理学とも呼ばれています。アドラー心理学が個人心理学と呼ばれるのには、「人間を分割できない全体としとらえ、人間は統一されたものである」(岸見、1999)という考えからきています。そして、アドラーは「人間を精神と身体、感情と理性、意識と無意識に分けるというようなあらゆる形の二元論に反対します。」(岸見、1999)それは、私たちが「お菓子を食べたい(感情)」と考えていると同時に、「それをすると、太ってしまうから食べるべきではない(理性)」というように、感情と理性が同時に起こることがあることから、人間を、白か黒かというように2元的に考えることは出来ないというアドラーの人間観からきています。
参考:岸見一郎『アドラー心理学入門』ベスト新書1999
PART2にて、具体的に嫌われる勇気の内容に入っていきたいと思います。
嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- PART2 - socialandstudy’s diary