socialandstudy’s diary

様々な本の内容を紹介します。

嫌われる勇気とは?-アドラー心理学について考える- すべての悩みは対人関係

続いては、嫌われる勇気第2章について考えていきたいと思います。

前回の内容を読んでおられない方は、こちらを先に参照していただけるとありがたいです。

socialandstudy.hatenablog.com

 

 

4.第2章すべての悩みは対人関係

 4.1すべての悩みは「対人関係の悩み」である

孤独であるという悩みが「他者を必要とする」ように悩みというものは、他者と比較して生み出されることであるからです。

そのため、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」(岸見、2013)とまでアドラーは断言しています。

「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこには必ず、他者の影が介在しています。」(岸見、2013)

 

4.2劣等感は主観的な思いこみ

皆さんも何かに関して、劣等感を持っていると思います。

劣等感を持たずに生きていられる、人など存在しないといってもいいでしょう。

しかし、劣等感はどうして私たちの心の中に生まれてくるのでしょうか?

劣等感とは、ある面において自分が他者と比較して劣っていると感じる感覚であり、客観的なものではなく、主観的なものであるといえます。

つまり、劣っていると思われることに対して、「どのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか」(岸見、2013)であるといえます。

そのため、主観的なものである劣等感は、主観的であるがために、「自分の手で選択可能」(岸見、2013)なのです。

 

4.3言い訳としての劣等コンプレックス

上記から劣等感が悪いものであるというように思われてしまいますが、劣等感を持つことが悪いことであるというわけではありません。

私たちには、普遍的な欲求として「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」(ともに、岸見、2013)という「優越性の追求」(岸見、2013)というものがあります。しかし、この「理想に到達出来ていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く」(岸見、2013)

ことを劣等感を抱くことと言います。

つまり、劣等感は自分の理想に到達するための、「成長や努力の促進剤」(岸見、2013)となりえるのです。

しかし、この劣等感の使い方を間違えると問題が起こります。

それが、「劣等コンプレックス」(岸見、2013)という状態です。

劣等コンプレックスとは、「自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のこと」(岸見、2013)です。

例えば、「私は、背が小さいから、もてない」、「私は収入が少ないから、もてない」というように考えることを言います。

このような状態では、自分自身が成長することは出来ず、何かが出来ないことに対して言い訳しながら生きていくことになってしまいます。

そのため、ここで重要なのが「現実にどう立ち向かうか」(岸見、2013)ということなのです。

 

4.4人生は他者との競争ではない

私たちは、他者と自分を比べがちです。そして、そこから劣等感を感じてしまいます。しかし、それは健全な劣等感とは言えません。

「健全な劣等感とは他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの」(岸見、2013)

であるべきなのです。 

そのため、他者と比較して、自分がどれくらいのところにいるのかを考えるのではなく、

「今の自分よりも前に進もうとすることにこそ価値がある」(岸見、2013)

のです

 

4.5まとめ

今回は嫌われる勇気の第2章について考えていきました。

ここで重要だったのは、他者と自分を比較するのではなく、理想の自分と比較するということです。そして、前進した自分には、素直に、称賛することも必要だと思います。

 

参考:岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013