『ナショナリズムとジェンダー』からジェンダー観を考える2
今回も前回に引き続いて、上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』1998 青土社
から、ジェンダーについて考えていきたいと思います。
前回の記事はこちらから↓
Ⅱ 「従軍慰安婦」問題をめぐって
上野氏は、本書において、「従軍慰安婦」問題から、ナショナリズムとジェンダーの関係について考察しています。
3 三重の犯罪
上野氏は、「従軍慰安婦」をめぐる犯罪には、主に3つ存在すると述べています。
それは、
①戦時強姦という罪
②戦後半世紀にわたるその罪の忘却
③被害女性の告発が否定されていたこと
です。
②については、戦時強姦であるところの「従軍慰安婦」の被害は戦後半世紀にわたって告発されることがありませんでした。
しかし、戦時強姦が存在していたことは知られており、実際に加害者がその時の様子を語ることもあったにもかかわらず、それが加害として認識されていませんでした。
それが、忘却です。
そして「従軍慰安婦」を語るのにはいくつかのパラダイムが存在します。
それは、
①「家父長制」パラダイム
②「戦時強姦」パラダイム
③「売春」パラダイム
です。
①「家父長制」パラダイム
このパラダイムは、女性の主体性を否定し、女性の性的人権の侵害を家父長制下の男性同士の財産権の争いに還元するものです。
このパラダイムでは、家父長的な抑圧の声が韓国でも日本でも起きました。
その抑圧の声の原因、理由は以下の通りです。
①「性的凌辱を受けたことは女の恥という儒教的道徳観」(上野、1998)から
②女を守り切れなかったことへの「韓国男性の「ふがいなさ」を衆目にさらされた」(上野、1998)から
③「女の告発を抑えきれなかったという「面目の失墜」」(上野、1998)に対して
つまり、「女性のセクシャリティは男性の最も基本的な権利と財産であり、それを侵害することは唐の女性に対する凌辱だけでなく、それ以上にその女性が所属すべき男性集団に対する最大の侮辱となる、という家父長制の論理がある。」(上野、1998)
②「戦時強姦」パラダイム
上野氏は、このパラダイムに対して、「戦争に強姦はつきものという見方や、戦時強姦はどこの国もやっているという見方がさらに加害を免責する」(上野、1998)という評価をしています。
そもそも「戦時強姦」は性欲から行われるものではありません。
「男性の権力支配の孤児のために行われ・・・・・・複数性(輪姦)に特徴があり、弱者への攻撃を通じて連帯を確立する「儀式」である」(上野、1998)と言います。
また「強姦は男性に対する最大の侮辱であり力の誇示である」(上野、1998)。
しかし「従軍慰安婦」を「戦時強姦」パラダイムとして解釈するには無理があります。
なぜなら、「従軍慰安婦」制度は、組織的に行われている面もあり、死組織的な戦時強姦を超えているからだといいます。
③「売春」パラダイム
このパラダイムは「慰安婦」を「売春」であったとして正当化するために主張されたものです。
まず、「売春」パラダイムの誤解について説明します。
「売春」は、男女の「性と金銭」の交換行為ではありません。
「売り手(業者や経営者、しばしば男性)と買い手(の男性)とのあいだの交換行為であり、そこでは女性は交換の主体=当事者ではなく、たんなる客体=商品にすぎない」(上野、1998)。
つまり、「売春」パラダイムは、女性の主体性を示すことで男性を免責するパラダイムであるといえます。
また「売春」パラダイムには欺瞞性が存在します。
1つ目は「「慰安所」制度には明らかな軍の関与があった」(上野、1998)ということです。
2つ目は「慰安所」の実態は「監禁下の「強制労働」であった。」(上野、1998)ということです。
3つ目は「慰安婦」の調達には女性の自由意志ではなく、暴力による強制や詐欺などが往々にして行われたことです。
以上のことからも上野氏がこれを否定するのもうなずけるでしょう。
④「性奴隷制」ー性暴力パラダイム
このパラダイムは「売春」パラダイムの持つ「任意性」を否定したものであり、女性を性暴力の被害者として位置付けた者です。
このパラダイムの背後には「「武力紛争下における女性への暴力」を問題化する人権の政治とフェミニズムの主張がある。」(上野、1998)
しかし、今日に至るまでの日本政府の公式見解は、
第一に「慰安婦」は「性奴隷」に当たらない。第2に国連人権委員会は過去にさかのぼって責任を追及するものではない
(上野、1998)
というものでした。
以上、「従軍慰安婦」とそれに対する解釈についてまとめてみました。
次回は、歴史として「従軍慰安婦」をとらえるということについて解説していきたいと思います。
次回の記事はこちら↓